9 小松崎古登女が村上家を去って間もなくのことだろうか、明治2年(1869)の8月、俊五郎は市中取締りを免じられ、新たに金谷原開墾方を命じられた。ちなみに、この前月には新番組(前年2月24日に精鋭隊として発足し同年9月29日新番組と改称)頭の中條金之助ら250名に対して牧ヶ原(金谷原)1425町歩の開墾が命じられ(『榛原郡茶業史』)、新番組から金谷開墾方と改名されていた。 『海舟座談』(『勝海舟全集』11)によれば、新番組頭の中條金之助や頭並大草多喜次郎が勝海舟に、隊士たちの処遇について相談したことから、牧之原開墾のことが実現したとされる。これが事実なら、俊五郎に対する開墾方任命もこのことと深…