昭和30年(1955年)の頃までは、菰(こも)編みが米づくり農家には必須の作業だった。米俵が必要だったからだ。3尺幅の菰を円筒形に巻きつなげ、空いた両端を円形の桟俵(さんだわら)でふさぐと俵ができる。入れるコメの量は4斗(40升、約72リットル)、1斗枡で量って入れた。 現代は1俵60kgと定められているが、それは1俵(4斗≒72リットル)の米がおおよそ60㎏だったからである。 その頃、藁の米俵から麻袋(南京袋)にようやく替わった。戦後15年経つ頃まで米俵が使われていたことが驚きでもあるが、農家に100㎏秤がなかったからだ。中学生のころ、60㎏の麻袋を担いだことがある。腰が折れるかと思うほど重…