発達障害について知ろうとする中で、『自閉症の僕が跳びはねる理由』に引き続き、『続・自閉症の僕が跳びはねる理由』を、今、読了した。 前著同様、この『続~』も、日本語の良さは際立っている。 文学的?には、前著の方が言葉一つ一つの粒が立ってたというか、磨き抜かれたキレの良さを強く感じた。けど、これは全く的はずれな注文であることは自覚してるつもり。本の出版などの社会との関わりの中で、著者の東田が、より、いわゆる「普通」になってきた、ということなのだろう。前著の『自閉症の僕が跳びはねる理由』は、言葉によるアウトプットの困難さに七転八倒しながらもんどり打ってひねり出した文章だったのに対して、『続~』時代に…