人はキリストを信じると告白して洗礼を受けるとキリスト者になります。礼拝に出席し、聖書を読み祈る中で、神の教えに従おうと志します。ある時、神の教えに従えないし、従いたくないという思いに直面します。使徒パウロはこう言います。 ローマ 7:15~17 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。 律法つまり神の教えに従おうと願いますが実行できないのです。かえっ…