パウロの手紙を読んでいて、一つの疑問を感じています。パウロは「罪の赦し」という言葉を使わないのです。私たちはイエス・キリストが十字架で死んだのは何のためだったのかと言えば、私たちの罪の償いのために死んでくださったと考えます。そのおかげで私たちは罪を赦されます。こう私たちは考えるのですが、パウロは「罪の赦し」という言葉を使わないのです。 なぜ、罪の赦しという言葉を使わないのか、だんだん分かってきました。もちろんパウロは、イエス・キリストの十字架の死のおかげで私たちの罪が赦されていることを信じています。でもそれを書かないのです。なぜか。パウロはその先を見ているのです。つまり何のために罪が赦されるの…