映画「聖なる蝶 赤い部屋」(窪田将治 2021) および「愛の嵐」(Il Portiere di notte, Liliana Cavani 1974) がなぜデカダンスを装いながら,本質は厨二病的で純愛のカタルシスを表現していると思えるのか。 愛慾は一人の欲望で成立するが、愛は互いの情熱と信頼がないと成立しない。 「愛慾が支配するエロス」は悲壮感の伴うデカダンスだが、「愛が支配するエロス」はどんな時でも幸福感の伴うカタルシスである。 官能小説やAVは愛慾を誘うメディアである。それはオナニーの手段として創作され、オナニーする者の性的快楽(アクメ)を達成するために相手を想定して犯す、あるいは相手…