一昨日の記事でこう書いた。 「人間は死ぬ定めだ」と情報知識で得るだけではだめだくらいは、当然多くの人が気づいてるはずだ。この知識を智慧に育てないとなんの助けにもならないと、とっくに気づいてる。 では尋ねます。智慧とはなんでしょう。 それは天才的な一瞬の閃きなどではなく「聞思修証を起すを智慧となす」(道元・八大人覚) つまり聞(これが情報知識)→思→修→証と油断なく持続する地道な実践のことだ。 (以上) 知識は単なる「聞」で、智慧は「聞思修証を起す」ことです。 この峻別があいまいな人が意外に多いかもしれません。 このあいまいさから出てきたとおもえる質問に、親身に応えるスマナサーラ長老の法話をお聴…