舟見城説明板 舟見城は、越中越後境目の宮崎城の城主であった宮崎長康の嫡子入善行重が築いたというが、詳細は不明である。伝統的に、越後から侵入する軍勢に対する監視拠点のひとつであった。 行重の出自である宮崎氏は、藤原不比等の次男房前が興した藤原北家の系統で、房前の五男魚名の流れである。魚名流の子孫に藤原利仁がおり、利仁の子井口光義が越中で勢力を扶養したため、越中にその子孫の家が多いのだが、その中でも石黒家とこの宮崎家は嫡流筋であったという。 長康は、上方より逃れ落ちてきた北陸宮を保護し、木曾義仲に報せて宮崎城に御所を造ったとされる。そして、寿永2年(1183)には、義仲軍が平家軍に敗れた越前燧ヶ城…