陸軍軍人。陸軍内のロシア通として知られた。陸軍皇道派の中心人物 1918(大正7)年 シベリア出兵に際して特務機関長、派遣軍参謀として反革命軍を援助。 1931(昭和6)年 犬養内閣の陸相に歴任。 1938(昭和13)年 第1次近衛内閣の文相。徹底した軍国主義教育を推進。 1939(昭和14)年 内閣参議。 敗戦後、極東裁判でA級戦犯として終身刑を宣告されたが、病気で仮出所し、その後釈放された。