平安時代中期の公卿。諡は恒徳公。後一条太政大臣・法住寺殿と号する。 藤原師輔の九男。母は醍醐天皇皇女の雅子内親王。同母兄には多武峰少将藤原高光、同母弟には天台座主尋禅がいる。 侍従から左中弁・蔵人頭を経て天徳元(970)年に参議。その後も権中納言・中納言・大納言と累進して寛和二(986)年に右大臣になる。正暦二(991)年に太政大臣に任じられたが、翌年薨去。正一位を追贈され、封相模国。 邸宅の一条院は姪の藤原詮子に伝領。長女の忯子は花山天皇の女御として寵愛を受けた。
その他娘五名
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 歴史的事実として、日本では美人が得をしてきた。 ・ ・ ・ 2024年7月22日 MicrosoftStartニュース OTONA SALONE「「遺産相続でもらえる財産は、美人かどうかで決まる」平安時代の相続事情、ちょっと露骨すぎない!? © OTONA SALONE *TOP画像/倫子(黒木華) 詮子(吉田洋) 大河ドラマ「光る君へ」 28話(7月21日放送)より(C)NHK 『光る君へ』ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、…
目次:クリックで各項目へ飛べます 長徳の変 往生際の悪い伊周と潔い隆家 定子 道長と女院の立場 事件の現場検証 1:花山院闘乱事件 2:皇太后 東三条院詮子への呪詛疑惑 3:大元帥法疑惑 長徳の変における真犯人は誰か 花山院誤射未遂におけるもう一人の黒幕 枕草子 除目 長徳の変 道長に内覧と(公卿として当時最高位の)右大臣の座を奪われ、意気消沈する伊周。 自分の恋人のところへ通う貴族のものらしい牛車を見かけて恋人にまで見放されたかとさらに落ち込む。 そして伊周とともに偵察に出かけた弟の隆家が、その怪しい恋敵に門の前で弓を射かけたところ、出てきた貴族は花山院であった(しかも勘違い)。 してやった…
朝、3時に目を覚ましてブログの下書きをする。 下書きにはMac miniの標準アプリ「メモ」を使う。iPad Proにも標準アプリがインストールされているから、Mac miniで書かれたのと同じ内容が同期される。そのタイミングでタイムラプス撮影動画をFacebookにリンクして「メモ」に貼り付ける。 下書きを終えたらMac miniから離れて今度はiPad Proをいじる。 iPad Proの「メモ」に同期されたブログ下書きを、これもインストールされてある「はてな Pro」にコピペ。コピペと同時に打たれた字数が表示されるから、それを見ながら字数を1,500字前後に調整する。これを「はてな」で行…
目次:クリックで各項目へ飛べます 中関白家の光と影 定子の後宮サロン 香炉峰の雪 当時の福祉 倫子と道長の平和な夫婦喧嘩 道隆の死と政治的な空隙 姑・東三条院詮子の謀略と嫁・定子との戦い(定義がおかしいことについて異論は認める) 女院詮子の手札 返す手:中宮定子の放つ乾坤一擲の一撃 ※だいぶ前の回になるので念のため粗筋を追えるサイトを貼っておく。 【光る君へ】第16回「華の影」回想 苦しい運営を強いられた最古の福祉施設「悲田院」 「貞観政要」とは真逆の道隆政治 「香炉峰」に応じた清少納言の才覚 – 美術展ナビ 【光る君へ】第17回「うつろい」回想 『荘子』に学び、“現実”を物語の力で乗り越え始…
長徳2年(996)1月16日、藤原伊周、隆家兄弟が花山法皇に矢を射かける事件が起きた。花山院闘乱事件じゃ。これにより中関白家の伊周と隆家は失脚したのじゃが(長徳の変)、今回はこの事件について詳しくみていこう。 花山天皇
今回は天下のさがなもの・藤原隆家についてじゃ。あの藤原道長も一目置いた中関白家の荒くれ者で、刀伊の入寇を撃退したことでも有名じゃ。大河ドラマ「光る君へ」では、竜星涼さんが演じるとのことで話題じゃな。 藤原隆家
素行の悪い平安の貴公子たち 筆者の繁田信一(しげたしんいち)は1068年生まれの歴史学者。神奈川大学の日本常民文化研究所で特別研究員をされている方。 単行本版は2005年刊行。この時は副題として「平安朝裏源氏物語」が付されていた。 殴り合う貴族たち: 平安朝裏源氏物語 作者:繁田 信一 柏書房 Amazon 角川ソフィア文庫版は2008年に登場。現在セール中(2024/4/27現在)とあり、電子版であれば259円で買えるみたい。 殴り合う貴族たち (角川ソフィア文庫) 作者:繁田 信一 KADOKAWA Amazon 更に文春学藝ライブラリー版が2018年に刊行されている。 二度も文庫化される…
「藤原道長の政敵」 「宮中の暴れん坊」 「父の死で没落した有力貴族」 藤原隆家について書かれた資料を見ると、このような紹介が並んでいます。 しかし、隆家は日本の国境を守る重要な役割を果たした人物でもありました。 地方支配が揺らいでいた朝廷は国境を守る軍団を持っておらず、反乱が起こったらそのつど、地方の有力者に鎮圧を依頼していたような時代にあって、朝鮮半島のすぐ近くにある対馬や壱岐は謎の異民族の襲来を受けていました。 「刀伊」とよばれた異民族は突然海のかなたからやってきて対馬や壱岐の老人・子供を皆殺しにし、多くの島民を拉致したのです。 いわゆる「刀伊の入寇」です。 刀伊を迎撃した壱岐守の藤原理忠…
第11回のお題は「まどう心」。 誰が、何に心まどわされているのだろう? 前回からの展開で、それぞれの立場から心境を想像しながら考えてみる。 目次:クリックで各項目へ飛べます 寛和の変 後日譚 花山天皇の場合 為時の場合 兼家の場合 ついでのつぶやき:明治維新 兼家からまひろを見る目線 道長 道隆と伊周・定子 道兼 詮子 ゆるキャラにして愛されキャラ、みんな大好き道綱の癒しオーラ 倫子の本音と赤染衛門 恋の顛末 道長の気持ち まひろの気持ち 宣孝の言い分 寛和の変 後日譚 花山天皇の場合 前回書いたけどもう一度。女御の忯子亡き後、菩提を弔いたいと出家を望んでいた花山天皇だが、そのように(嘘の怪異…
おっさんは「光る君へ」を平安時代の宮中を舞台にしたドラマと考えて見ています。今回は第11話「まどう心」、寛和の変でまんまと天下をとった兼家、まひろと道長の恋の行方の2本立て!それでは、あらすじを見て行きましょう。(父親失業) 花山天皇の突然の出家&譲位、それにより、まひろの父・藤原為時は、式部丞と蔵人の職を失い、無職に戻ります。無職です!!無職・・・これからどう生活していくか、大変な問題に直面しました。 為時の娘のまひろは、この状況を、なんとかしなければ、と考えます。 (顔つきが・・・) 四条宮では藤原公任(きんとう)、藤原斉信(ただのぶ)、 藤原行成(ゆきなり)が、深夜に起きたの花山天皇の突…
法性寺へ JR京都まで行っても・・・ 鴨川散歩 鴨川川辺散歩 高瀬川終点 堀川と鴨川の合流点へ 堀川開渠部(上鳥羽口あたり) 堀川と鴨川の合流点 京都南インターと城南宮 京阪墨染駅へ この日の行程 この日は京都駅から歩きだした。 京都駅東口改札から出た。 ここはいつ来ても、外国の人でいっぱいだ。 海外の雰囲気を感じながら、駅を出た。 外に出ると。赤い花をつけた木が一番に目に付いた。 寒緋桜(かんぴさくら)。濃いピンクの鐘のような形の花びら。 赤くて目立つが、誰もその木に目を止めようとしなかった。 自分が写真をとっていると、後から何人かが写真を撮ろうとしていた。 花ビラは散らず花ごと落ちるようだ…
平安時代について断片的な知識しかなかったので、 平安時代の出来事を年表にまとめた。 関連記事 参考 平安時代の概要 平安時代の小区分 平安前期 平安中期 平安後期 平安時代の文化 悪霊と祈祷の時代 平安時代の出来事 平安前期の出来事 781年 (天応元年) 桓武天皇 即位 794年 (延暦13年) 平安京に遷都 800年(延暦19年) 富士山が噴火 (延暦の大噴火) (805年 (延暦24年) 最澄 が 比叡山延暦寺 を創建 806年 (大同元年) 平城天皇 即位 806年 (大同元年) 空海が 高野山金剛峯寺 を創建 807年 (大同2年) 伊予親王の変 809年 (大同4年)(809年) …
以上、NHK大河ドラマ「光る君へ」(2024)より きょう3月13日は、阪田マサノブ(さかた まさのぶ)さんの誕生日です。1965年生まれの59歳になりました。おめでとうございます。大阪府出身。早稲田大学第一文学部在籍中に劇団東京ヴォードヴィルショーに入団、プロダクション人力舎、タイタンと移り、現在は高岡事務所所属。 阪田マサノブさんの映画出演作は、 1991.08.31『波の数だけ抱きしめて』(1991:馬場康夫)、 1994.04.23『怖がる人々』(1994:和田誠)、 2000.11.11『十五才 学校IV』(2000:山田洋次)、 2002.06.08『模倣犯』(2002:森田芳光)…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 日本の歴史、文化、民族には、明かりの雅と暗闇の俗がある。 ・ ・ ・ 2024年3月10日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「自宅に連れ込んでリンチ、法皇を弓矢で射撃…藤原氏の「御曹司」たち、実はめちゃめちゃ暴力的だった! 豪勢な寝殿造りの邸宅を構え、歌合や蹴鞠に興じるやんごとなき平安貴族たち。しかしその裏側では、残忍な事件を起こす凶暴な一面もあった。知られざる「黒い君」たちの血塗られた素顔を明かそう。 前編記事『部下を撲殺、逆らった人間を拉致・監禁…平安貴族が起…
法住寺 御本尊は、身代わりさんと呼ばれる「身代わり不動明王像」。 親鸞聖人作の像 後白河法皇の像 四十七士木造 法住寺前庭 門のカタチ 本堂 境内 境内の梅の花 法住寺殿 塩小路通りを鴨川を渡って、 ↓七条大橋 ゆるい坂を上がると 旧方広寺の南大門がある。 南大門をくぐると左手に朱色の建物が目に付く。 その建物がが三十三間堂。そして上の写真の右手に白い旗が上がっているところが今回行った法住寺。 法住寺 今の法住寺は、三十三間堂の東にある小さなお寺だ。 今は規模からすると三十三間堂がかなり広い上に、参拝する人も相当違いそうだ。 かつてこの辺りには法住寺殿があり、広い敷地だった。三十三間堂もその敷…