5月2日の廻館考で述べた、 盛岡市門(かど)の真立(まだて)にある蝶ヶ森館(ちょうがもりだて)。 江戸時代の文献や、大日本地名辞書(吉田東伍1906)には、経ヶ森と記されており、蝶ヶ森と呼ばれるようになったのは、さほど古いことではないらしい。山頂には経塚の痕跡(三角点がある)があり、岩手県内の諸例からみて、12世紀平泉藤原氏のころの経塚らしい。かつて壷が出土したとも伝承されている。 麓の門(かど)は、北上川西岸の西鹿渡(にしかど)に対峙して、中世の北上川渡渉地点であった。 真立は廻館から転化した地名で、頂部の曲輪を、多重壕が周回する城館の呼び名らしい。現在の遺跡地図では蝶ヶ森館となっているが、…