幼い頃、すぐ身近にギャンブル依存症の人がいました。父でした。 もちろん、母は子どもたちには隠していましたが、親戚が来て話し合いがもたれたりして、事情が少しずつわかってきました。私が小学校に入ったばかりの頃、父が常習的に賭けているのは「ケイリン」でした。すぐには理解できませんでしたが、ケイリンは、「競輪」で車券を買って自転車レースの勝ち負けを予想すること、ハズレと当たりがあって大金が失われてしまうこと、時折、病的にのめり込む人がいること、開催日は休日が多いこと等、徐々にわかっていきました。 2年生の秋には、「今日が競輪の開催日」という日は、朝から憂鬱でした。心の中で「行かないで」と叫んでも、夕方…