初期の巡洋艦の一種。装甲を施してあるのでこの名がある。Armored Cruiser
いわゆる甲鉄艦(Ironclad)の後継者。1877年に竣工したイギリス海軍のシャノン(Shannon)を嚆矢とする艦種*1。厳密に言うと装甲巡洋艦とは舷側装甲帯巡洋艦の略であり、水線の甲板だけを装甲した(舷側は無装甲の)防護巡洋艦や装甲を持たない偵察巡洋艦などと区別するためにこう呼ばれる。
戦艦にはサイズと武装で劣る。帆走海軍時代のフリゲートと同様、戦艦と戦うこと以外のすべての任務を果たせることを期待されていた。
これに対して日本海軍は日清戦争の経験から戦艦6隻と装甲巡洋艦6隻からなる六六艦隊を整備した。これらの装甲巡洋艦は準主力艦としての運用が期待されており、実際に日露戦争では戦艦群と連携して戦い、優速を活かして大きな戦果をあげた。これによって「装甲巡洋艦の艦隊戦闘における有用性」が証明されたかに見えた。
だが、ドレッドノートおよび「戦艦と同じ主砲を搭載する」巡洋戦艦の出現でその存在意義は覆される。前弩級艦が弩級艦に太刀打ちできないのと同様に(あるいはそれ以上に)装甲巡洋艦は巡洋戦艦に劣る存在であり、最終的には装甲巡洋艦という艦種自体が消滅してしまった。それまでに建造された艦は第一次世界大戦でそれぞれ実戦に投入され、結果として主力艦同士の艦隊決戦では有効な働きをできないまま、いろいろひどい目に遭っている。
*1:ロシア海軍のGeneral Admiral (1875年)が先だとの説もあり