近年の地方分権改革推進の理念的支柱とされる概念。
そもそもは、カトリック教会の社会教説に由来する概念であり、人間の尊厳を個人の主体性に求めた上で、「決定はできるだけ身近な所で行われるべきだ」とする考え方。
補完性の原理は、1985年に採択されたヨーロッパ地方自治憲章第4条第3項において「公的な責務は、一般に、市民に最も身近な地方自治体が優先的に履行する。」とその理念が明記されたことから、地方分権のキイ・ワードとして注目されることとなる。
補完性の原理は、「個人ができないことを家族が助け、家族でもできないことを地域のコミュニティが助け、地域でもできないことを市町村が助け、それでもできないことを都道府県が、そして、それでもできないときに初めて国が乗り出すべきだ。」というようにステレオタイプ化される。
留意すべきは、上記のような説明において、「自助、互助(共助)、扶助(公助)」と言う米沢藩の財政再建で有名な上杉鷹山の「三助」がしばしば引用される点である。ここにみられるように、日本における補完性の原理は、ある意味、古くからの馴染み深い伝統的な社会原理への復古ともいえる側面を持つ。
一方、少なくとも日本においては、補完性の原理と新自由主義との関連性を無視することはできない。上杉鷹山が援用されるがごとく、財政危機を契機とする「国から地方へ」あるいは「官から民へ」という規制緩和、民営化路線との親和性である。すなわち、行政関与の最小化、経済効率性の追求、市場至上主義の発露としての補完性の原理である。ここでは、主体性、自立性、はっきりといえば「自治権の問題」は、しばしば脇に置かれることとなる。
しかし、念のためではあるが、地方分権改革とは、中央政府の役割を最小限にするべきであるという意味では決してない。地方分権推進委員会が、下記のように指摘するとおりである。
わが国の事務事業の分担関係をこの「補完性の原理」に照らして再点検してみれば、国から都道府県へ、都道府県から市区町村へ移譲した方がふさわしい事務事業がまだまだ少なからず存在している一方、これまではともかく今後は、市区町村から都道府県へ、都道府県から国へ移譲した方が状況変化に適合している事務事業も存在しているのではないかと思われる。分権改革というと、事務事業の地域住民に身近なレベルへの移譲にのみ目を向けがちであるが、分権改革の真の目的は事務事業の分担関係を適正化することにあるのである。分権改革というと、事務事業の地域住民に身近なレベルへの移譲にのみ目を向けがちであるが、分権改革の真の目的は事務事業の分担関係を適正化することにあるのである。
地方分権推進委員会最終報告
「第4章 分権改革の更なる飛躍を展望して IV 事務事業の移譲」より