・40年(漢暦建武16) 3. 南越の諸領主は、徴税権を漢から南越の領主に戻すことを望んだ。(『後漢書』馬援列伝,南蛮西南夷列伝,『越史略』) ・40年(漢暦建武16) 3. 南越の徴側は女王を称し、徴税を行った。漢は軍を派遣し、徴側を滅ぼした。(『後漢書』南蛮西南夷列伝) ※漢は高句麗や倭国などの首長に王の地位を与えて、直接支配していない地域との繋がりを保とうとはしたものの、直接の支配地域が独立することは容認しなかったといえる(北村厚『教養のグローバル・ヒストリー』)。 ・44年 韓の廉斯の首長,蘇馬諟は楽浪郡に朝貢を行い、漢より「漢の廉斯の邑君」という称号を授けられた。(『後漢書』韓伝) …