岩波文庫137ページ「「生死去来真実人体(しょうじこらいしんじつにんたい)」といふは、いはゆる生死は凡夫の流転(るでん)なりといへども、大聖(だいしょう)の所脱なり」 人間は瞬間瞬間生まれ、死にながら(過去は存在しない=死、現在この瞬間=生)日常生活を送っており、これが大宇宙と同じ真実の人体ということだが、このように普通の人が日常生活を悩み、苦しみ、喜び様々な状態で流転していることは、いわゆる「大聖」と言われるような人が「解脱」したということと同じである。 ここのところは、私は坐禅しながら日常生活を送ること=解脱、悟りと同じことだという風に思っている。 個人的には、解脱とか悟りという言葉は嫌い…