岩波文庫128ページ「このとき、思量して学道す、不思量して学道す」 学道するとき、色々考えながら学ぶときもあれば、考えることをせずに学ぶこともある。 私は、「思量して学道」=正法眼蔵を読むこと、「不思量して学道」=坐禅だと思っている。ただ、不思量というのは、日常生活の瞬間瞬間を無我夢中で行動しているときも含まれるのかな、とも思う。 道元禅師は、経典などを読んで考えることも大事だとされている。ただ、坐禅無しに経典を読んでも意味がないとおっしゃっているのだと思う。 現実の組織でも理論と実践が揃わなきゃ役に立たない。 ただ最近は「言葉だけ」の人が多くないですかね。じゃどうするんだ?というごとに対して…