岩波文庫154ページ「この不染汚に、如吾是吾(にょごぜご)、諸仏諸護念(しょぶつしょごねん)、これ行仏威儀なり。」 坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動している(不染汚)ところに、仮に「吾(自分)」と呼べるものがあるとして、それが吾というものであり、仏と言われる方々が護り念ずることであり、そこに行動する仏としての威儀があるのである。 如吾是吾は、自分というものは「こうだ、こういうものだ」と観念的に捉えられるものではないけれども、現実には吾、自分というものはあるということだと思っている。観念ではなく現実に行動することが仏の目指すものであり、そこに威儀が備わる。 オリンピックをやるとかやらないと…