岩波文庫167ページ「雍容(ようよう)の破顔(はがん)あり、瞬目あり。これ行仏の威儀の暫爾(ざんじ)なり。被物牽(ひもつけん)にあらず不牽物(ふけんもつ)なり。縁起の無生無作(むしょうむさ)にあらず、本性・法性(ほんしょう・ほっしょう)にあらず、住法位にあらず、本有然(ほんゆうねん)にあらず。如是を是するのみにあらず、ただ威儀行仏(いいぎぎょうぶつ)なるのみなり。」 (釈尊が魔訶迦葉(まかかしょう)に法を継いだ時のように)穏やかににっこりと瞬きをする。このようなことが、大宇宙の真理と一体となって行動する仏の威儀が現れている時である。周囲のものや頭の中の考えに引っ張られるのではない、そのようなも…