『うたの森』の収録された『流れる水のように』を歌う機会があり、歌詞を読み音を取りながら思ったのだが、友情を裏切った、ということが三善晃の課題の起点だったのではないだろうか。 課題と書いたが、罪と言い換えられるかも知れない。それがある、ということは、『三つの夜想』で僅かに告白されている。その起点ということについて。丘山万里子のしょうもない「リンゴの罪」のような諸々だが、それらは行った時点の内心では罪ではなかったはずと考える。現に行ったのだし、自身への最低限のエクスキューズを抱えていただろう。そして、「一瞬の望見」にある「十代の終わり」の何ごとかが、おそらくはエクスキューズの利かない、罪と認めるし…