岩波文庫153ページ「あはれむべしといへども、無明縛のかさなれるをしれるは、発菩提心の種子(しゅうじ)となりぬべし。いま行仏、かつてかくのごとくの縛に縛せられざるなり」 (法性、大宇宙の真理を頭の中で考えてそれに囚われてしまう=法性の縛をしらないということは)憐れなことではあるけれども、無明縛が重なっていることは知っているので、これは真実を知りたい、大宇宙の真理を知りたいというきっかけ(種子)にはなるだろう。行仏、行動を通じて大宇宙の真理を体得するということは、これまでもここに書いたような頭の中の考えに囚われることはなかったのである。 頭の中の偏った凝り固まった偏狭な考えに囚われて「怪しからん…