正徳6年1月13日。辻番銀が今後100石に付き10匁ずつ出るとの書付を御屋敷奉行からそれぞれに配られる。夜中に死んだ母親が夢の中で注子(急須)を持って椽前に立っていた。声も姿も昔のままで文左衛門は涙があふれた。
文禄14年1月26日。文左衛門は辻番銀を忘れ、何とか未刻(午後1時)に持参する。