ところで、宮沢さんの、自分は塔を建てる者であるとの矜持はどこから出てくるものなのでしょうか。結論から言えば、この世における「釈尊常在」の『法華経』の教えではないかと推測します。釈尊さんが存在するところ、それは極楽浄土なのです。それは、宮沢さんがブッダさんと同じように成仏することができるならば、宮沢さんがいるところ、すなわち極楽浄土となります。 そのためには、宮沢さんが生き仏とならなければならないのですが、果たしてそのようなことは、理論上だけでも、可能なことなのでしょうか。そのようなことを考えていたら、岩鼻通明さんの『出羽三山 山岳信仰の歴史を歩く』(岩波新書1681)という本にであったのです。…