・文保2年(1318) 2.26 花園天皇は譲位し、尊治親王が践祚した(後醍醐天皇)。(『園太暦』) ※後醍醐天皇の践祚は、その父,後宇多院が再び院政を敷くことを意味した(森茂暁『後醍醐天皇』)。 ※当時として、31歳の践祚は異例なほど遅いものであった。しかし、天皇になるまでに時間があったために、彼は朝廷政治の知識を身につけることができた(中井裕子「後醍醐天皇」『室町・戦国 天皇列伝』)。 ・文保2年(1318) 3.9 邦良親王は立太子した。(『継塵記』) ・文保2年(1318) 3.30 花園院はこの日、後醍醐天皇の践祚に関して、「定めて天の与うるところか」と日記に所感を記した。(『花園天…