新都福原に強引に都を移し、内裏殿などを急造してはみたものの、 福原の人気は悪かった。 それに地形も宜しくない。 北に山々が高くそびえ、波の音は騒がしく、潮風はきびしい。 新院もそのためかご病気がちである。 君も臣もこの地を嘆くことしきりであったが、 比叡山や興福寺の諸寺諸社からの訴えも度重なれば、 さしも横紙破りの入道清盛の心も折れてきた。 「京に都をもどす」 というので、十二月二日の日、都がえりとなった。 京に帰るというので人々は急ぎ争って上れば、 もはや福原のことなど口に出す者もいない。 中宮、一院、上皇が立てば、摂政、太政大臣以下の卿相たちつき従う。 さる六月が都移しであったから新都は凡…