ジーコの代表監督就任と「黄金の中盤」 2002年の日韓Wカップが終了すると、岡野俊一郎がサッカー協会会長職を退き、川淵三郎が後任の会長となった。新会長のもとには技術委員会から次期監督候補のリストが届くが、川淵はそれを無視する。 川淵が独断で選んだトルシエ監督の後任は、鹿島アントラーズのテクニカル・ディレクターを務めていたジーコ(本名、アルトゥール・アントゥネス・コインブラ)だった。 ジーコの日本代表監督就任はサポーターの歓迎を受けたが、一方で全く監督経験のない彼の手腕に不安の声も聞こえた。その新監督の力量を測る最初の試合が、10月にジャマイカを招いて行なわれた親善試合。 ジーコはこの試合に中田…