これも大昔の話。家から小学校までがほぼ見通せた。それほど広島の南観音新町には何もなかった。実は干拓地の南端には三菱重工の巨大工場群があってその北側には社宅が拡がっていた。その社宅街と小学校の間に畑が拡がっていたのだ。学校はご承知のとおりベビーブーマーで溢れかえっていて、新入生や二年生にはとんでもない巨人国に紛れ込んだホビットの気分だった。今思えば不思議なのだが、田んぼが学校から南を向いて右側に少しだけで本当にほとんどが畑だった。 今回の話はこの畑にあった肥溜め(野壺)だ。夏休み前の下校時、ふと見上げるとギンヤンマが遊弋しているではないか。昆虫少年候補生だった二人は夢中になって追いかけはじめた。…