野村監督の訃報から1年が経った。ID野球を掲げヤクルトスワローズを3度の日本一に導いた野村監督は、僕にとって特別な存在だ。それには、とても個人的な理由が二つある。自分自身の心の整理のために、自分語りをさせて欲しい。 野村監督の目 比較的早く祖父を亡くした僕にとって、野村監督は祖父のような存在だった。テレビで観る野村監督は、取っ付きにくそうな人で、そしてメタボ気味なおじいさんだった。(楽天時代や、監督勇退後は”ボヤき”を筆頭にお茶目な印象が強かったが、ヤクルト監督時代は常にむすっとした厳しい表情でベンチに鎮座していた姿が印象的だった。ちなみに1990年代前半にはメタボなんて言葉は一般的ではなく、…