この本の冒頭、慈円の愚管抄の「保元以後ノコトハミナ乱世 日本国ノ乱逆ト 云うコトハヲコリテ後、ムサノ世ニナリニケルナリ」と引用されている。 この本は私の住んでる秦野市で1993年に全国に散らばる波多野さんたちに取材した記念35年の「波多野氏を語る会」の言うのがあって、その記念に発刊されたらしい。 波多野氏がなぜ秦野の地を捨てたか。 その遠因は保元の乱のとき彼らの先祖である波多野義通が敗者である源為義の処刑に立ち会わされるはめになった源氏都の縁とこの本は語る。なんでも、平安初期から絶えてなかった公式の死刑が復活に彼は立ち会った。 でも、その実態は、僧侶にすると言ってのだまし討ちで、その時、のちに…