防穀令 1890(明治23年) 岩波新書『近代日本と朝鮮』趙景達(2012)より 第5章「一八八五年になると、韓国人以外の外国人にも内地旅行が許可されたため、日本商人は生産地に出向いて米の買い付けを行うようになった。その結果、春に出向いて買い付け、秋に入手するという青田買いが横行した。米穀取引はますます投機性を強めていき、貧農民を苦しめた。八五~八九年は凶作であったため輸出量は少なかった(21,472円と54,394円)が、九〇年には前年に比べ、いきなり四七倍ほど(2,540,652円)に跳ね上がっている。」輸出額の高騰は92年まで続いた。これに対して「一八八九年秋に咸鏡道観察使趙秉式が発した…