無所属の世田谷区議。
民間企業に在籍。
阿部 又吉
明治期の政治家 吾妻村(福島県)村長。
生年弘化4年7月6日(1847年)、没年大正9(1920)年6月24日、出身地陸奥国耶麻郡長瀬村(福島県猪苗代町)
経歴戊辰戦争では陸奥二本松藩(福島県)母成峠守備農兵隊長として活躍。明治26年郷里の耶麻郡長瀬村(猪苗代町)村長、40年吾妻村村長。耶麻軌道の創立、中ノ沢温泉の開発に尽した。
村井(阿部)八郎
福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身。阿部又吉の五男として生まれ、村井半之助の養子となる。会津中学、第一高等学校を経て、1912年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し福島県属兼警部となる。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。
以後、新潟県東蒲原郡長、同三島郡長、同理事官、長野県警察部長、大分県警察部長、熊本県書記官・警察部長、山形県書記官・内務部長、大阪府書記官・警察部長、北海道庁部長・土木部長などを歴任。1931年12月、福島県知事に就任し、1932年6月28日、知事を休職となる[1]。その後、郡山市長を経て、太平洋戦争時の川崎市長を務めた。
1946年4月の第22回衆議院議員総選挙で福島県選挙区に日本進歩党から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。衆議院請願委員長や戦災復興院政務官を務めている。
その他、日本自由党政調会副会長、東京トヨタ自動車販売監査役、福島トヨペット取締役会長、川崎市商業活動調整協議会長などを歴任。
1952年から1期務めた若松市長時代には、若松市と7村との合併を実現して会津若松市を発足させ、裏磐梯の観光開発などを進めた。1970年10月11日死去。享年83。
あの一年生議員が、思わず「すげぇ〜!」と声をあげた「議員特権」の数々。国民大多数のまともな感覚からは、大きくかけ離れているといわざるをえない、その「特権」には、いったいどんなものがあるのか?どれほどの金額なのか?そして、国会議員たちは、そうした「特権」を日々いかに享受しているのだろうか?納税者である私たちが、知ってるようで知らない「議員特権」の全容が、いま明かされる。
1 世界に誇る立派な「歳費」に、たっぷりの「手当」もつきます/2 「宿舎」と「オフィス」も完備で懐はちっとも痛みません/3 移動も帰郷も外遊もお国が面倒みてくれます/4 苦労してカネ集めしなくてもこの「資金」があるから大丈夫/5 特権意識を捨てよと言われてもそれはムリな相談です/6 議員の「特権」は、秘書や家族もフルに活用しています
阿部力也(アベリキヤ)
1963年、福島県生まれ。明治大学法学部卒業。世田谷区議会議員。86年、亀岡高夫衆議院議員の秘書となり、政治世界に第一歩を踏みだす。その後、小沢一郎衆議院議員の秘書をつとめ、国会ならびに国会議員、政党などについて細部にわたり見識を深める。99年、東京・世田谷区議会議員選挙に民主党より立候補し当選、現在、二期目。区議会では、会派「民主党・生活者ネット・社民党世田谷区民連合」の幹事長をつとめる。あわせて東京電力グループの東電不動産(株)総務部に在籍(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)