そういう人に対する意地悪が、世間の秩序を保っている場合もありますが、悪行であることには間違いありません。問題は、そんな悪行の行われる世間というものが、本当に必要な存在なのかということです。 世間学の本を読めば、世間というものが存在するのは、世界でも日本だけだそうです。阿部勤也さんによれば、十二世紀頃までのヨーロッパにも世間というものがあったそうですが、キリスト教の普及によって、それは消えてしまったそうです。 それからヨーロッパ個人というものが発生して、その個人の集まりが社会というものを形成したそうです。 ヨーロッパは、およそ八百年の時を経て、今の個人と社会のある世界というものを作り上げたのです…