2004年11月20日発行 難破し水船になった船が無人であれば積荷は村の所有とするのが習いだったが、天領から年貢として徴収した米を江戸に運ぶための御城米船は厳しい規則が課されており、新造してから7年以内の廻船であること、乗組み員は身元引受人のいる素性の正しい者であること、途中寄港する浦々で役人の点検を受けることが求められ、御城米船の積荷を奪い取れば苛酷な刑が科された。三重県志摩半島の大王崎・波切村の庄屋の久右衛門は難破した御城米船をどうするか迷った挙句、村人に素早く瀬取りすることを指示した。瀬取りした量は〆て597俵だった。俵、縄は全て焼き捨て、無銘の碇は宮山に隠し、刻印された碇は海に沈めた。…