伝え続けねばならぬ歴史(2024年8月18日『産経新聞』-「産経抄」) 第5方面軍司令官として北海道防衛の策を練る樋口季一郎中将(孫の隆一氏提供) 多くの国民は、昭和天皇の玉音放送を聞き終戦を知った。<父母(ちちはは)の泣けば幼き子等までがラヂオの前に声あげて泣く>高見楢吉。昭和20年8月15日の点描である。大本営は翌16日、各方面の軍に戦闘行動の即時停止を命じている。 ▼自衛目的の戦闘についても、18日午後4時を刻限に銃を置くよう通達があった。ソ連軍が千島列島最北端の占守島に上陸を開始したのは、その18日だった。「断乎、反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」。現地の守備隊に、そう命じたのは第5方面軍…