ノートにとった講演会の内容を整理しておく。 講義要約 幕末維新期に生糸は主要輸出品となったが、品質不良により買取価格が低かった。そのため品質を向上させる必要があり、高山社は養蚕改良に取り組み「清温育」という飼育方法を確立する。 高山社は蚕種販売と養蚕教授で大いに栄えたが、高山社の「清温育」は厳格な飼育管理が必要であった。それ故、丈夫で品質の良く厳格な管理を必要としない「一代交雑種」が実用化され、蚕種統一運動が起こると高山社は衰退していくことになる。明治44年には国立原蚕種製造所が設立され、国家が養蚕の主導権を握るようになる。高山社が経営していた蚕業学校も低迷し昭和2年に廃校となった。 高山社の…
ノートにとった講座の内容を整理しておくこととする。 講義概要 日本の養蚕は古代より年一回春季に行うのが一般的であった。だが明治時代になり生糸増産が求められ夏秋期にも養蚕を行う必要性が生じた。それゆえ冷涼な施設で蚕の卵を貯蔵し孵化の時期を調節する工夫を試みるようになった。蚕種の冷蔵保存をする施設として自然の冷気が得られる「風穴」が全国各地に作られるようになる。荒船風穴もその一種であるが、蚕種貯蔵能力は国内最大規模で110万枚を誇った。また富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社と技術交流し、連携していた。 【目次】 一般的な風穴の概要 荒船風穴 世界ではどうなのか 歴史的意義 講義終了後、荒船風穴まで行…