足立巻一さんの「虹滅記」を読んでおりました。この作品は、足立さんが 「やちまた」を昭和49(1974)年に刊行したあと、恩師である石川乙馬 先生の伝記「夕暮れに苺を植えて」とあわせて三部作にするつもりで、昭和49 年から同人誌に連載を始めたといいます。 今から半世紀近くも前でありますが、これを読んでいて、一番強く隔世を感じ るのは、次のようなところでありますね。 「松田家に養子になった献吉は、三年あまりして明治三十八年五月二十日、ここ でも協議離縁となり、同日、同じく山鹿町山鹿六番地の古閑丸スモという女の 養子となった。それで敬亭の戸籍での記載は切れている。 そうすると、わたしには献吉というは…