元禄7年4月15日。この夜聞いたところでは、町奉行同心を勤めていた林勘兵衛が先ごろ死んだと。かねてから自分が死ぬ日を知っていたと。前の夜、明日の巳刻(午前9時)に死ぬからと言うとその通りになったと。これは林平左衛門が文左衛門に放してくれたこと。