元禄9年4月22日。申刻(午後3時)、長岡庄左衛門下僕関介はこの春まで神谷段之右衛門のところで奉公し、関内と名乗っていた。野崎村の仁左衛門の弟で、段之右衛門の百姓であった。申8点(午後4時半過ぎ)、神谷段之右衛門のところへやって来て、茶の間の女を呼び出し、刺し殺した。この女の名はさつ、親は八郎兵衛で巾下馬喰町に住んでいた。この時、段右之衛門下僕六平は自分の部屋におり、喧噪の声を聞き付け、中門を開けるとこの場面に出くわし、大いに驚き、段之右衛門に告げた。段之右が走って中庭に出ると、関介は両肌を脱いで腹を切り、咽まで切ったが、いまだ死ねずにいた。しばらくあちらこちらをのたうち回り、手に脇差を持って…