元禄11年8月10日。竹本筑後掾・藤原博教が尾頭で操りを行う。ワキ竹本喜内で4人がやって来る。昨日、松本治太夫が浄瑠璃をかたるうちに中風(手足のしびれ)し、気絶する。その後で息をふき返す。以前から浄瑠璃が少しも人が集まらず、特にこの日から筑後が始めたのでますます人が集まらなくなっていたのを面目ない思い、仮病をつかって京へ帰ったとの噂もあった。このため急いで別の太夫を呼びに行く。先頃から猿投山で霊虫たくさん現れ、山中の草木を食べてしまうと。その音は1里(薬帰路)先でも聞こえる。世間ではどうやって知ったのか羔(つつが)という虫と。