宝永2年1月2日。昨年、山本道伝は江戸へ下らず、その後も参上しなかった。これは本寿院様が度々艶書(恋文)を送られたため。昨年も堕胎を行っていた。以前から山本八郎左衛門姉のびくに(比丘尼)ははなはだ淫乱であった。去年も栄国寺の住持に艶書を送っていた。住持は怒って講談でその名前などを話しており、その上、その手紙を引き裂いた。昨年冬、田辺太左衛門・荒川治右衛門らに触流しから内々の話がなった。当時少将様方でも差し控えていたことであった。各が隼人殿のところへ昼夜詰めているのはいかがなものか。稽古がないのであれば時々でいいのでないかと云々。昨年冬、毛利内記と加嶋万右衛門とで取り合い(奪い合い)があった。万…