宝永3年9月21日。日の出頃から文左衛門は加兵と大曽根下へ天目伏せ(漁の方法)に出かける。酒など頂き、楽しく過ごす。未(午後1時)前に帰る。
宝永3年9月21日。屋敷替えを言いつけられる。高力七左衛門ところへ稲葉惣左衛門が入る。惣左衛門の家は石川兵庫の屋敷となる。大橋新之助は野崎鎌山の差し出した屋敷へ入る。新之介のところへは堀田弥五右が入る。弥五右のところへ高力七左衛門が入る。昔、大橋は代官藤田弾蔵の金を得て財産を増やしていた。去年も美濃で新田を900両余りで売っていた。近頃、弥五右は50両出して大橋と屋敷を替えようとしたが、新之母はこれに納得しなかった。それならば100両と言っているうちにこの如く言いつけられる。