宝永6年1月23日。この日から町では下蔀を上げて売買をする。未(午後1時)過ぎ、郷右衛門の弟で19歳の粕谷宇右衛門が小右衛門の5男で21歳のところへ出かける。弁右衛門は自ら出て、路地の戸を開けた。その後、下女が茶を持って行くと2人とも死んでいたと。弁右衛門は首筋・耳にかけて後ろから大きく切られ、刃向かった様子もなく死んでいた。右衛門は椽で自害していた。弁右衛門は畳の上で死んでいた。2人ともに御目見せず。深夜、朝岡甚五右衛門・幡野林蔵がやって来て見分を行った。