宝永7年11月11日。この日の井戸の作業は、井戸堀清六と日用の3人、それに市右衛門・八平の以上5人であった。桶が1つ不足して急いでまた1つを足した。かれこれ金子1両1分朱ほど入用となった。不同米は9斗1升、定金米は8斗9升となる。
宝永7年11月11日。夜、茂平治は伝大夫長屋で切腹となる。その手際はとても良かったと。使いは古高善右衛門、検使は土肥縫大夫。介錯は都筑小兵衛が務め、これは茂平治の願いにより仰せ付けられる。