宝永7年12月4日。文左衛門は口米金3両1分5匁3分を出す。値段は1両で9斗5升であった。二の丸の作事の見分に石川兵庫が出向かれる。他へは病気とのことで出向いておらず、そのため長髪で今日見分に出向かれた。十文字大夫が言うには。遷宮の際はいつも尾公から絵馬が出ていた。しかし、今回は今まで絵馬は出ていない。貞享の時は白雞、寛文の時は普通の雞でこの絵馬は特に入念にこしらえてあり、瑞竜公の絵と云々。