宝永8年3月20日。今月13日に志水の唖人が木か崎へ参り、笑われからかわれたので水野へやって来てそこから中志段見(味)へ向かった。帰りに道に迷い、百姓の門の小家に入って寝ていた。百姓が見つけて盗みかと叱ったが、唖であったので通じなかった。互いに取っ組み合いとなり、百姓は助けを求め、叩き殺して川に捨ててしまった。この死体が稲生の堰にかり詮議があった。盗みであってもその時に届け出なかったのは不届きと7日間追い籠められただけで片が付いた。