Convair B-36 Peacemaker
1950年代のアメリカ戦略空軍*1を代表する戦略爆撃機。全長49.4m、全幅70.1mという前代未聞の巨人機。
'Six turning and four burning!'というフレーズが示すように、プロペラエンジン6機とジェットエンジン4機を搭載した、十発爆撃機。平時にこんなものを385機も造ってしまうアメリカは本当に恐ろしい国である。
時に1941年4月。アメリカ軍首脳部は展開しつつある第二次世界大戦の展開に疑念を抱いていた。当時すでにイギリスを除く交戦国はことごとくナチス・ドイツの軍門に下っており、仮に英国諸島が失われた場合、自由世界の最後の砦たる合衆国が欧州に介入する手段は極めて乏しい物になってしまう。そこで彼らは、大西洋横断爆撃機を構想する。つまり、アメリカ本土からヨーロッパ本土を攻撃できる爆撃機の開発を求めたのである。
当時の代表的な重爆撃機というと、B-17C/Dでその性能は「爆弾4000ポンド搭載で2400マイル飛行」だったが、彼らは「爆弾10000ポンドを積んで4000マイル飛べる爆撃機」を求めていた。いくら何でも無茶だと思われたが、本気のアメリカ人にできないことはない*2。要求仕様はボーイング、コンベア(正確には前身のコンソリーデッドConsolidated)、ノースロップ、ダグラスらに(公式・非公式を含め)提示された。
最終的に有力案として残ったのはノースロップのB-35*3と、コンソリーデッドのB-36だった。ここで予算がついて、それぞれの試作が行われることになった。試作の結果、B-35はエンジン問題*4などが解決できず、B-36が勝利した。
原型機の完成は1945年9月だったが、すでに戦争は終わっていたので、急ぐ必要もなくなり、初飛行は終戦から1年後の1946年8月に行われた。機体が巨大すぎるため、プロペラエンジン6機だけでは出力不足が甚だしかった。そこでさらにジェットエンジン4機を補助機関に搭載して性能向上が図られている。
さて、初期の原子爆弾は巨大な物であり、ICBMもまだ存在せず、つまり核攻撃任務は大型爆撃機にしかこなせないものだった。B-36はこの目的に適合しており、量産が行われて1950年代のアメリカの核攻撃力の中核を担った。
が、ジェット化は時代の趨勢であり、B-52が登場して引退することとなった。