岐阜県大垣市の水門川のほとり。 個性的な赤色のビルが建ってます。 ビルの東側に描かれているのは、飯沼慾斎(よくさい) 江戸時代末期の医者・植物学者。 慾斎のことは勉強不足で知りません。 北側に描かれているのは小原鉄心(1817-1972) 後世の人から「大垣藩の鉄心か、鉄心の大垣藩か」と言われた偉人。 おそらく大垣市民で知らない人はいません。 天保の大飢饉と揖斐川の氾濫により大垣藩は疲弊。 鉄心の徹底した質素倹約により財政再建。 大垣藩の“武士の家計簿” ペリーが浦賀にやってきた時には、藩士130人を連れて出兵。 初めて黒船を見た鉄心は「まるで島ではないか」と衝撃を受けます。 すぐさま軍隊を西…