それはほんとに急だった。なんだか、本が増えれば増えるほど思考はどんどん働かなくなり、iTunesライブラリの音楽が増えれば増えるほど音楽をだんだん聴かなくなった。本はまだ「本」があるからそこに身体性を感じられるのだけど、音楽にいたってはデータだって音楽で、データが主だと身体性も希薄だ。データばっかりで音楽の身体性を感じれていないのはちょっとどうなのかね。データには検索性の問題もあって、データがありすぎると「あ」から順にスクロールして見ていくのがなかなか面倒だったり、「欲求」と「聴きたい音楽」がマッチしていかない*1。CD棚があった時代は、ある程度目視で聴きたい音楽を見つけられたわけで。この感じ…