英語で工場の意味
レコード会社。マンチェスタームーブメントの震源地として数々のバンドが所属した。
初期のメンバーはトニー・ウィルソン、アラン・エラスムス、ロブ・グレットン、マーティン・ハネット。
インディーズレーベルとして「全ての権利はアーティストにある」と主張し、レコードの売り上げはアーティストと折半。楽曲の権利もアーティストが持ち、結果としてそれが自らの首を絞めることとになる。
1978年 ファクトリーの前身として、ラッセルクラブでのライブイベント、ファクトリー・クラブが開始。
1979年 1月:ファクトリー始動。オフィスはアラン・エラスムスのアパート。
5月:ジョイ・ディヴィジョン「アンノウン・プレジャーズ」リリース。
1980年 4月:ファクトリー・クラブ、終了。
5月:イアン・カーティス、死去。
7月:ニューヨークとブリュッセルに支社設立。
1980年 3月:ビデオ部門設立。
1982年 4月:ハシエンダ設立を巡り、ハネットと他のメンバーが対立。ハネットはファクトリーを去る。
5月21日:ハシエンダ、営業開始。
1983年 1月16日:ニュー・オーダー、「ブルー・マンデー」発売。
8月:ハネットが十分な示談金と引き換えに全ての著作権をファクトリーに譲り渡す。
1985年 9月:ハッピーマンデーズがファクトリーからデビュー。
1986年 2月:マイク・ピッカリングがファクトリーのA&R部長に就任。同じころピッカリングはファクトリーで「ヌード」というDJパーティが開始。イギリスで初めてデトロイト・シカゴ系のハウスミュージックを回すDJとなる。
7月:ニュー・オーダー、「トゥルー・フェイス」発売。レーベルにとって初の全英TOP5入りヒット。
1987年 10月:マンチェスターのデザイナー・バーの先駆け、「ドライ」設立。
1988年 1月28日:ファクトリー10周年。
8月:セカンド・サマー・オブ・ラブ。ハウスミュージックの全盛期。
1989年 8月:アメリカツアーから帰国したニューオーダーはそれぞれソロ活動を開始。ニューオーダーとしての活動を休止。
1990年 3月:このころまでマッドチェスター全盛期。しかし、ハシエンダで16歳の少女がエクスタシーのオーバードーズで死亡する。
10月:ファクトリーの新オフィス(FAC251)が作られる。
1991年 1月:ハシエンダはギャング抗争の煽りを受け3週間自主的に営業停止する。
4月18日:マーティン・ハネット死去。
9月:ファクトリーがほとんど倒産状態だというニュースが流れる。トニーたちは身売り先を探していた。
1992年 はじめ:ロンドンレコードによるファクトリー買収の噂が流れる。
11月9日:ハッピーマンデーズ、「サンシャイン&ラブ」発売。ファクトリー最後のシングルとなる。
11月23日:ファクトリー最後の日。ファクトリーは50万ポンドの負債をかかえ、管財人の管理下に入る。
Joy Division、New Order、Happy Mondaysなど。