公聴会
出席しないし、首都圏に住んでいてもきっと僕は「いやぁ議論を追ってませんから」などと言い訳を言って出席しないことうけあいであって、丹念に流れを追っている人の後ろから何を言うこともなかろうと思いますのでまとまった形で読んでいただくものはありません。あぁこれがまた一つ逃げているということなのか。
何にしても、今まで思いつきでちょこちょこ言ってたことをまとめて「どや」と一つの結果にすることは無理であり、実際自分の認識と現実の動きはくいちがっていたりすることもある(疑問に思っていたモデレーションシステムがそこそこ動いていたりするところとか)。
ただ今まで時々自分が、「こうなんじゃないかなぁ」と書いたことが、きちんと作業している人に「それ全然違うヨ」と否定されるまでには至らなかった、ということは、それなりに自分の考え、というかバランス感覚みたいなものが、それほどずれているわけではないのだと、思う(思いたい)。
ので、自分の判断基準についてまとめてみることにする。僕は、どういう基本原則を持っているから、これは良くてこれは駄目、などという、判断を下すことが出来るのか。
今から新しいアイデアを出しても、混乱するだけなので、今後出るアイデアを、自分の判断基準に基づいてどのように評価処理すればいいか、ということについて、考えをまとめてみようと思う。
ってまたそうやってメタな話で逃げるのかよ…
残りは後で。
キーワードについてどう考えるか(rev 0.1)
随時修正中。まだ書きかけです。相変わらずウラは取ってません。
気が向いたときに、ちょっとずつやります。
準備
まず最初にどういう方向で考えを進めるか。
考え方
- 「価値」→「原則」→「利害」→「ルール」の順に細分化されているものと、考えてみる。
- 理由のない、ルールの押しつけが問題になる
- それぞれは結びついていて、全てのルールは遡っていけば、価値に合致していることが理想。
- これらを導き出す順番にはこだわらない。
- レイヤを飛び越えた解決を避ける。「ルール」を設定するのにいきなり「価値」を持ち出さない。それぞれのレイヤは、下のレイヤが解決不能になったときにのみ、参照されるべきである。
- 「ルール」が膠着したら「利害」を参照して解決を試みる、それが駄目なら「原則」、「価値」の順に辿ること。*1
「利害」というレイヤを設定する理由
- 極力、問題を外部化しない。=「アホのやったこと」と言わない。
- どういう主張からそういうことが起きたか=その行動を起こした人がどのような「利害」を持っているか、について、整理する。
- 逆に、問題に対してルールを適用しようとするときも、「それがはてなの理念だから」といったことを極力言わないようにする。
- 対立する利害関係を完全に調停するルールを作ることは不可能だが、配慮できるものについては配慮する。
- ある「利害」を持っているユーザに全く配慮しなかったことが、「穴」を作り、問題(あるときには攻撃)の対象になったという認識。
- すべての人の言うことを聞かなければいけないということではなく、形式的にでも、目配りをしているということが重要
構成(案)
本当は順番に確かめたほうがいいのだろうけど、一部しか書けません。
「利害」の検討
キーワードを立てる、立ったキーワードを利用する、ということに関して、以下のような「利害」があると考える。
- KW立てる人
- 捕捉したい(偶発的に)
- 捕捉したい(意図的に)→クラブ
- 百科事典を作りたい
- 多くの人に知らしめたい(商用以外の意味での宣伝)
- それ以外の意図
- KWリンクから辿る人
- あるキーワードを書いている人の日記を見たい
- KWリンクから辿られる人
- 自分の日記がそのキーワードで串刺しにされる、うれしい(知らない人が自分の日記を見に来る)
- 自分の日記がそのキーワードで串刺しにされる、いやだ(そのような言葉を自分が書いていると知られたくない)【a】
- KWリンクが自分の日記に出る人(偶発的に)
- 意外な言葉がリンクされておもしろい(うれしい)
- 語句の一部にヒットするのが偶発的で面白い
- 語句の全部にヒットして、そこにつながりを感じられるから面白い
- 意外な言葉がリンクされてうっとうしい(いやだ)
- 語句の一部にヒットするから本意ではなくいやだ【b】
- 語句の全部にヒットしても、そのようなキーワードがリンクすることがいやだ【c】
- 意外な言葉がリンクされておもしろい(うれしい)
- KWリンクが自分の日記に出る人(自ら意図して記述)
- KWリンクが自分の日記に出ない人
- 自分の目の届かないところに自分のきらいなキーワードが「ある」ことを認める
- 自分の目の届かないところに自分のきらいなキーワードが「ある」ことを認めない【d】
a.「キーワードからリンクを辿られるのが嫌」
そのような言葉を自分の日記で使っている、ということを人に覗かれたくない。
現状やっていること: 特になし
b.「言葉の一部に偶発的にヒットするのが嫌」(誤爆)
自分の意図しない語へのリンクが発生するのは、本意ではない。
c.「言葉の全部にヒットしてもそのようなものにリンクするのが嫌」
b.よりもっと厳格な立場。自分の日記からのリンクはコントロールする権利がある。ヒット「しすぎる」キーワードは鬱陶しい*1
現状やっていること: bに準ずる
d.「自分が嫌なキーワードは使わなくてもいらない」
自分が直接書くことがなくても、おかしなキーワードが自分の利用しているシステムの中に書かれている事が不満。
なぜ「紛争」になるか-1:無制限さ
手順の無制限さが問題を起こす。
- 「何度もできる」こと
- 「誰でもできる」こと
また、無制限に「しなければならない」ことがあるのも、ユーザにとってはストレス。(日々「キーワード編集」をしたり「エスケープ記法で書く」ようなことは、なるべくならしたくない)
モデレートに対する評価
「評価の平均値」を自分の自動リンクとすることには問題は残る(自分のモデレーションを直接日記に反映させてほしいという意見もある)が、このシステムのポイントは、「各ユーザが1回しかできない」ことにあると考える(評価は変えていいが)。
「紛争」を起こさないための手続き
各所で提案されているけれども、「削除とサルベージを1回ずつにする」ということは、モデレーションシステムの発想を引き継いでいる
なぜ「紛争」になるか-2:主観的な公共性
長くなりそうなのでメモだけ。「公共のため」「みんなのためになるから」「みんなが困るから」という発想(主観的な公共性の考え)が、問題のもう一つの大きな根であると考える。
これに関しては「キーワードは公共物である」という考え方を有る程度やめて、「立てる責任者」「削除する責任者」などの考え(内容については公共のものだけど、キーワードの成立と削除については、責任を明確にする)を導入することで回避できるのではないかと思っているのだけど、詳細はまたあとで…